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【帰ってきた】経営者のためのPoker入門 vol.10 あの人は今

著者: 大川弘一

【帰ってきた】経営者のためのPoker入門 vol.10 あの人は今

みなさまこんにゃちわ。大川です。

長らくお休みをいただいておりましたこのコーナー、魂のカツオブシを削り尽くしてしばらく寝込んでおりましたが、もう大丈夫です。履いてます。

お休みの期間中にも何人もの方から、「あれ、ほら、あの、ポーカー入門。」

みたいな感じで再開を促されておりまして、その度にみぞおちの辺りが締め付けられるような感じをスルーしてきたんですが、とうとう担当の筒井さんから「まだですか」メールもいただきまして、うやうやしくスタートさせていただくこととなりました。

もともと私としても本当に思い入れの強い連載で、たとえあなたと私しか読んでなかったとしてもそれはそれ。普段どおり、満員電車で口いっぱいに牛乳を含んでこのことばを読んでくれている大切なあなたのために、そしてその向かい側に座っているナイスミドルのBarcodeがあなたのミルクでオコジョ色に染まるよう、しっかりと着実に、仕込んでいければと思います。

それでは今月最初の質問です。

こんにちは。ごぶさたしています。

いちねんまえ、亀の名前をつけていただいたジュンタです。小学六年生になりました。

そして、あのときの亀、茂吉は巨大になりました。

小さな頃は僕の手から「もヒャもヒャ」と小松菜を食べるとてもかわいい奴だったのですが、しばらくすると鼻息を荒げながら「フゴフゴ」とむさぼるようになり、最近では「ンゴッンゴッ!」と齧りつきながらたまにムセるといった具合でちっともかわいくありません。

食べるものも小松菜だけでは飽きたらず、僕の食べかけのコンソメパンチやお父さんの残した晩御飯のちくわぶ、そしておばあさんが残した雪見だいふくやちくわぶまでをも平らげてしまいます。みるみるうちに亀体は太り、その成長に追いつかない甲羅のフチが二の腕にしっかり食い込んで、みっともないったらありません。

こないだなんか僕が塾から帰ってきたらお父さんのちんちんにかぶりついていてお父さんはあやうく【元・お父さん】になってしまうとこでした。

受験を200日後に控え、夏期講習もこなし、へとへとになって家に帰っても、いわゆる僕の居場所はありません。

このままでは12歳にして浪人です。これからの楽しい学園生活を、不気味な巨亀に台無しにされてしまっては、どう考えても部屋干し臭い大人になってしまうことは確実で、例によって涙がとまりません。

僕はこの先、どうしたら、うまいことやれるのでしょうか。

はい。ジュンタくんひさしぶり。

茂吉もジュンタくんも立派に成長しているようでなによりです。

生き物を飼うのはとても素晴らしい経験で、私なんかも桜文鳥からはじまり犬でも猫でもたくさん拾って飼いました。

中でも高校時代に飼っていたインコのことは、今でも忘れられません。

主にベランダの鳥かごで飼育していたピーちゃんは、アグレッシヴなナーバスインコで、鳥かごのクリンネスレベルが低下すると自分でゲートをこじあけて脱出しようとする気性の荒い奴でした。

鳥かご清掃時には窓を閉め切った部屋に解き放ち、ある程度の自由度を謳歌していただきつつ清掃の完了をお待ち願ったりしてたのですが、そういうときにもピーちゃんはこちらに近づくわけでもなく、ただ高いところから僕をみおろして、清掃のプロセスを睨みつけておりました。

ところがある日、僕がいつもの通りピーちゃんルームの清掃にとりかかろうとしたところ、ピーちゃんが初めて肩に乗ってきてくれました。

僕はあまりの突然の出来事に清掃を始めることも忘れ、鳥ボディを触ってもいいものか、手を差し伸べてもいいものか、あれこれと戸惑うだけでなにもできずにいたところ、ピーちゃんは僕の首すじにチョコンとおでこを乗せてきたのです。

孤高インコのピーちゃんらしからぬ、まさに90年代ドリカム的展開。

いままで単なる清掃役でしかなかったわたくしの日々が報われた瞬間は、種族を超えた相互理解の素晴らしさをどんな言葉よりも雄弁に語り、荒れた心にはあたたかい気持ちが一気に広がっていきました。

わかりあえた僕ら。がんばってきてよかった。これからもずっと、いっしょにいようね。そんなおだやかな時間をしっかりと強くかみしめて、ピーちゃんを肩に乗せたままベランダの窓をゆっくりと開けてみたところ、ピーちゃんはまっすぐに飛んで行きました。

わずか30秒の間に訪れた邂逅と僥倖、そして猛脱走。

一生のうちで最も感情のこもった「なんでやねん」が発せられたのもこの時です。

役割を終えた鳥かごの前に立ち尽くす僕は、この事件を通じて愛するものを失う悲しみを知り、以前よりも人に優しくすることができるようになった気がします。ジュンタくんももう六年生ですから、日に日に横柄になっていくペットに自分の領域が侵されるのを我慢できないこともあるかもしれませんが、生き物というのは失って初めて、自分のほうが支えられていたということにも気づかせてくれるものでして、そう遠くない未来に、茂吉の存在や茂吉との別れが、ジュンタくんの中にある優しさを見出してくれることでしょう。

ペットと過ごす限りある時間、そして好奇心に負けてしまいがちなお父さんとの素敵な時間、いずれもジュンタくんの成長にとってかけがえのない思い出になるよう、心からお祈りしています。

それではつぎの質問。

ラケシュ、こないだ質問したときはFXでケバブいちまんこくらいいかれたけど、さいきんはギリシャ問題のアレで、ケバブ4000個ぶんくらいもうかりました。

ラケシュ、元カノがさいていのギリシャ人だったから、ギリシャ人がくねくねしながらウソついてひきのばすのわかってただし、なんとなくノリでユーロ買ったり売ったりしてたら鼻毛ちぢれるほどもうかりかました。

でもラケシュ、FXでもうかるとケバブ包むのめんどくさいなります。

こないだもクルクル回るチキンほったらかしにしてFXしてたら、トリニクパッサパサになってて、トリの気持ち考えてすこしかなしくなりました。

そこでしつもんです。ラケシュ、こんな感じでいいんですかね。

はい。

一年も経つと、ひとの人生はいろいろ変わるものですね。

ケバブになるトリも、鳥かごから脱出するトリも、等しく命がありますが、ひとたび食べ物になってしまった生き物は、経済効率の前にテキパキと扱われてしまいます。

名前をつけて溺愛したものを食べることができないように、自らの人生に登場人物として現れた命は、なかなか殺めることができません。

こんな人間の矛盾した感情を緩和するために、様々な流通業や飲食業が罪悪感を代行してくれているのですが、彼らもプロのやる毎日の仕事として単にこなしているだけで、悲しみを拭いながら生きているわけでもありません。

そしてラケシュがはまっているFXや株式取引というのはまさにこうした現場の対局にあるもので、ひとの息づかいや血や汗といった手応えも、現場に比べたらほとんど感じることはなく、簡単に上下する資産価値の手応えのなさは、過酷な労働の経験があるひとなら尚更違和感がのこるものでしょう。

でもね、プラスならそれでいいんです。

人はやりたくないことを毎日するために生まれてきたのではなく、自由で素敵な時間を過ごすために生まれてきています。だからもし、運でも知恵でも投資で食っていけるのならそれはそれで何も気にする必要はありません。

日本には「ちゃんとはたらけ」というくだらない同調圧力がそこらじゅうに溢れ返っていますが、大事なのはお客さんに喜ばれるものを提供できる人になることであり、イヤイヤ過ごす時間の長さは意味がありません。

自分がおいしいと思ってつくるものが異国で広がっていくという仕事はとてもロマンのある仕事です。少しの時間で糧を得て、あとはにこやかに安くておいしいものを提供するくらいのバランスは本当に理想的だと思いますし、ラケシュはとてもいい人生を送れていると思います。

ぜひともクルクル回る鶏たちを放置せず、営業時間はチャートを見ず、もう少しだけレバレッジを下げたリスクの少ない投資法で引続きがんばってみてください。

*さて、今月は懐かしい方々からの質問ありがとうございました。

トリ関連の質問が多かったような気がしますが、そんなこともまぁありますね。

相変わらずポーカーも経営も関係のない質問が続きますが、それはそれ。

来月以降、また皆様からの「経営に関する」質問をお待ちしています。

(2015.7.29)

イラスト